父が亡くなり、相続人は兄弟3人。
誰も住む予定のない実家について、長男と次男は「売却して現金で分けよう」と話がまとまりました。
ところが、問題が一つ。
もう一人の兄弟が海外へ渡ったまま、何年も連絡が取れないのです。
海外にいるらしいことは分かっていても、現在どこに住んでいるのか分からない。電話もメールもつながらない。
「兄弟3人のうち2人は売却に賛成しているんだから、実家だけ先に売れないの?」
残念ながら、そう簡単にはいきません。
行方が分からなくても、その人が相続人であることに変わりはありません。残った相続人だけで勝手に遺産分割をして、実家を売却することはできないのです。
このような場合に利用することがあるのが、家庭裁判所の「不在者財産管理人」という制度です。
ただし、ここで知っておいてほしいことがあります。
不在者財産管理人を申し立てれば、すぐに実家を売却できるわけではありません。
実際の手続きでは、管理人が選任されるまでの所在調査にも時間がかかり、選任された後も、遺産分割、不動産売却、売却代金や諸費用の精算など、通常の相続とは違う調整が続きます。
今回は、制度の説明だけではなかなか見えてこない「不在者がいる相続不動産の売却」の実務について解説します。
まず大前提。「海外にいる」だけなら不在者ではない
最初に整理しておきたいのが、海外在住=不在者財産管理人が必要、ではないということです。
海外に住んでいても本人と連絡が取れ、遺産分割の内容について意思確認ができるのであれば、必要な書類を準備して相続手続きを進めることができます。
問題になるのは、例えば次のようなケースです。
- 何年も前に海外へ渡ったまま連絡がない
- 現在住んでいる国は分かるが、住所が分からない
- 最後に分かっている住所に連絡しても本人に届かない
- 電話番号やメールアドレスも分からない
- 親族などに確認しても現在の所在が分からない
裁判所は、不在者を「従来の住所又は居所を去り、容易に戻る見込みのない者」としています。
つまり問題なのは、海外に住んでいることではなく、本人の所在が分からず、遺産分割に参加してもらえない状態になっていることです。
相続人が一人見つからなくても、残った人だけでは遺産分割できない
ここでよくある誤解が、
「何年も連絡が取れないなら、その人を除いて残った相続人だけで決めればいいのでは?」
というものです。
しかし、遺産分割協議は相続人全員で行う必要があります。
例えば、父が亡くなり、相続人が長男・次男・三男の3人だったとします。
三男が海外へ渡ったまま行方不明でも、長男と次男だけで、
「実家は長男が取得する」
「預貯金は長男と次男で半分ずつにする」
と決めることはできません。
「連絡が取れない」と「相続権がない」は、まったく別の話です。
いきなり家裁へ申立てではない。「本当に不在なのか」を調べるところから始まる
では、連絡が取れなければ、すぐに家庭裁判所へ不在者財産管理人の選任を申し立てればよいのでしょうか。
実務では、そう簡単ではありません。
家庭裁判所への申立てでは、「不在の事実を証する資料」の提出が求められます。
つまり、単に「兄とは10年間連絡を取っていません」と説明するだけではなく、本人がどこにいるのかを確認するために、相応の所在調査を行う必要があります。
戸籍や戸籍の附票などを確認し、親族から情報を集め、判明している住所や連絡先をたどっていくことになります。
海外が関係するケースでは、判明している海外住所へ国際郵便を送るなど、本人と連絡を取るために行った調査の経緯を積み重ねていくこともあります。
国内だけで完結する所在調査とは異なり、郵便の往復や海外に関する確認には時間がかかることがあります。
「行方不明だから管理人を選んでもらう」の前に、「本当に行方が分からないのか」を確認する段階があるのです。
それでも見つからない。そこで不在者財産管理人を申し立てる
所在を調査しても本人が見つからず、本人が財産を管理する人も置いていない。
そこで初めて、不在者財産管理人の選任を家庭裁判所へ申し立てることを検討します。
不在者財産管理人とは、本人が戻ってくるなどするまで、その人に代わって財産を管理する人です。
申立てができるのは、不在者の配偶者や共同相続人、債権者などの利害関係人や検察官です。
なお、申立ての際に管理人候補者を挙げたとしても、その人が必ず選ばれるとは限りません。
裁判所が事件の内容などを踏まえて判断し、弁護士などの専門職が管理人として選任されることもあります。
「弁護士が選ばれたから、あとは全部お任せ」ではない
不在者財産管理人として弁護士が選任されれば、相続人としては「これで専門家が入ったから、あとは実家を売ってもらえばいい」と思うかもしれません。
ところが、ここにも実務上の難しさがあります。
弁護士は法律の専門家ですが、すべての弁護士が不動産売買の実務を日常的に扱っているわけではありません。
実家を売却するとなれば、次のような不動産取引特有の問題を一つずつ整理する必要があります。
- どのような方法で売却するのか
- 売出価格をいくらにするのか
- 査定価格は妥当なのか
- 誰が不動産会社との窓口になるのか
- どの段階で売買契約を締結できるのか
- 売却代金を誰が受け取るのか
- 不在者に帰属するお金をどのように管理するのか
不在者財産管理人との間で資料をやり取りし、取引の流れを説明し、必要な確認を取りながら進めるため、通常の相続不動産の売却より時間がかかることもあります。
管理人が選ばれただけでは、遺産分割も売却もできない
もう一つ重要なのが、不在者財産管理人の「権限」です。
管理人の基本的な役割は、不在者の財産を管理・保存することです。
遺産分割協議に参加したり、不動産を売却したりすることは、通常の管理権限を超える行為になります。
そのため、こうした行為を行うには、原則として家庭裁判所から「権限外行為許可」を得る必要があります。
不動産売却の場合には、売買契約書案や不動産の評価に関する資料などを家庭裁判所へ提出することがあります。
つまり、
「管理人が選ばれた → 不動産会社を決めた → 売却」
という単純な話ではありません。
家庭裁判所の許可を得ながら、一つずつ手続きを進める必要があります。
「行方不明だから相続分ゼロ」にはできない
不在者財産管理人制度でもう一つ知っておきたいのが、管理人は残された相続人の味方として選任されるわけではないということです。
管理人が守るのは、行方不明になっている本人の利益です。
例えば、父の遺産が次のような内容だったとします。
- 実家 3,000万円相当
- 預貯金 600万円
- 相続人 長男・次男・行方不明の三男
長男と次男からすれば、「三男は20年も家族と連絡を取っていない。父の面倒も見ていないのだから、私たちだけで財産を分けたい」と思うかもしれません。
しかし、それだけを理由に三男の取得分をゼロにすることはできません。
裁判所の案内でも、特別受益や寄与分が認められるなどの例外的な事情がない限り、少なくとも不在者の法定相続分を確保した内容でなければ、遺産分割についての権限外行為許可は得られないとされています。
本人がいないから自由に決められるのではありません。本人がいないからこそ、その人に不利益が生じないようチェックされるのです。
そして実家を売った後。「お金をどう動かすか」も意外と難しい
不在者がいる不動産売却では、買主が見つかって終わりではありません。
実際の取引では、例えば次のようなお金の流れを整理する必要があります。
- 売却代金をどの口座で受け取るのか
- 不在者に帰属する金銭をどのように管理するのか
- 固定資産税等の精算金をどのように扱うのか
- 仲介手数料を誰がどのように負担するのか
- 登記費用などの売却費用をどこから支払うのか
- 諸費用を控除した残額をどのように分配するのか
通常の不動産売買であれば、売主、不動産会社、司法書士などの間で比較的イメージを共有しやすい部分です。
ところが、不在者財産管理人が関与すると、「誰のお金なのか」「誰が受領するのか」「誰がどの費用を負担するのか」を、遺産分割の内容や家庭裁判所の許可と整合させながら整理する必要があります。
ここに、不在者財産管理人が関与する売却に慣れていない不動産会社が加わると、さらに説明や調整が必要になります。
不動産会社がこの制度を知らないと、話がなかなか進まない
相続不動産の売却経験がある不動産会社でも、不在者財産管理人が関与する取引を何度も経験しているとは限りません。
通常の売買と同じ感覚で、
「売買契約はいつ締結できますか?」
「売却代金はこの口座に振り込めばいいですよね?」
「仲介手数料は売却代金から差し引けばいいですよね?」
と進めようとしても、管理人や家庭裁判所との関係で確認が必要になる場合があります。
そのたびに、不在者財産管理人へ説明し、不動産会社へ説明し、必要に応じて家庭裁判所への確認や許可を経て、取引条件を整理していくことになります。
相続人、不在者財産管理人、家庭裁判所、司法書士等、不動産会社、そして買主。
関係者が増えるほど、「次に誰が何をするのか」を全員で共有することが重要になります。
つまり「不在者財産管理人を選任すれば解決」ではない
インターネットで「相続人 行方不明」と検索すると、多くの記事で「家庭裁判所に不在者財産管理人を選任してもらいましょう」と説明されています。
法律上の入口としては、そのとおりです。
しかし、実際の目的が「相続した実家を売って、売却代金を相続人で分けること」なら、管理人の選任はゴールではありません。
実際には、次のようないくつもの段階があります。
- 不在者の所在調査
- 不在者財産管理人の選任申立て
- 不在者財産管理人の選任
- 遺産分割案の作成
- 家庭裁判所への権限外行為許可申立て
- 遺産分割
- 相続登記
- 不動産売却
- 売却費用等の精算
- 売却代金の管理・分配
しかも、それぞれに関与する専門家が異なります。
法律上の手続きが分かる人と、不動産売却が分かる人。その両者が連携できるかどうかが、実際にはかなり重要なのです。
実家の査定は、相続手続きが全部終わってからでなくてもいい
「まだ遺産分割できないのだから、不動産会社への相談は全部終わってからでいい」と思うかもしれません。
しかし、実家の価値を把握することは、遺産分割案を考える材料にもなります。
例えば、実家について複数の不動産会社から査定を取り、
- 現在の市場ではいくら程度で売れそうか
- 古家付きのまま売却できるのか
- 解体して売った方がよいのか
- 仲介ならどの程度の期間を見込むのか
- 不動産会社による買取ならいくら程度になるのか
といった情報を把握しておけば、実家を誰か一人が取得するのか、売却して現金で分けるのかといった検討もしやすくなります。
ただし、査定を受けることと、実際に売却することは別です。
所有関係や不在者財産管理人の権限、家庭裁判所の許可が必要となる場面を確認しながら進める必要があります。
不在者がいる実家売却では「一番高い査定額」だけで不動産会社を選ばない
不在者財産管理人が関与する相続不動産では、通常以上に不動産会社選びが重要になります。
もちろん、少しでも高く売却することは大切です。
しかし、査定額だけではなく、次のような点も確認したいところです。
- 相続不動産の売却経験があるか
- 司法書士や弁護士などと連携できるか
- 通常とは異なる売却代金の流れを理解できるか
- 家庭裁判所の許可が必要となる取引に対応できるか
- 売却を急がせず、必要な手続きを踏まえてスケジュールを組めるか
「3,000万円で売れます」と言ってくれる会社より、「この取引では誰が契約当事者になり、いつ家庭裁判所の許可を取り、売却代金をどう精算するのか」まで一緒に整理できる会社の方が頼りになるケースもあります。
時間がかかるからこそ、空き家になった実家を放置しない
不在者がいる相続では、通常の相続より手続きが長期化する可能性があります。
しかし、その間も実家の時間は止まりません。
固定資産税はかかります。庭木の管理も必要です。台風などで建物が破損することもあります。
雨漏りが発生すれば、建物の状態がさらに悪化する可能性もあります。
売却できないからといって何年も放置していると、いざ売却できる状態になったときには、当初より条件が悪くなっていることも考えられます。
だからこそ、不在者がいることが分かった時点で、相続手続きだけでなく、実家の管理や将来の売却についても並行して考えることが大切です。
まとめ|「行方不明の相続人がいる」だけで、実家売却は一気に複雑になる
相続人の一人が海外へ渡ったまま行方不明でも、その人を除外して遺産分割をすることはできません。
まず所在を調査し、それでも所在が分からなければ、家庭裁判所への不在者財産管理人選任申立てを検討することになります。
しかし、本当に大変なのは「管理人を選任するまで」だけではありません。
管理人が選任された後にも、遺産分割、家庭裁判所の許可、不動産売却、固定資産税等の精算、仲介手数料などの費用負担、売却代金の管理・分配といった問題があります。
そして、その過程では、相続人、弁護士などの不在者財産管理人、司法書士等、不動産会社、家庭裁判所など、多くの関係者が関わります。
誰か一人が制度を知っているだけでは、スムーズに進まないこともあります。
「次に誰が何をするのか」「どのお金を誰が受け取るのか」を関係者間で整理しながら進めることが、不在者がいる相続不動産を売却するうえで非常に重要です。
もし相続人の中に長期間連絡が取れない人がいることが分かったら、実家を売却するときまで放置せず、早い段階から所在調査と相続手続きを始めておきましょう。
相続人が一人見つからないだけで、実家売却までの道のりは大きく変わります。だからこそ、「売りたい」と思ったときではなく、「連絡が取れない」と分かったときが、動き始めるタイミングです。

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